源範頼の墓

源範頼の墓

源義朝の第6子で蒲冠者と呼ばれました。
1180年に兄頼朝と義仲が対立した時、弟義経と共に義仲を倒し、次いで一ノ谷の合戦で平家を破り、功によって三河守に任じられました。
その後と頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝が範頼に義経討伐を命じたが断ったため、頼朝から疑われるようになりました。

源範頼の墓

1193年の曽我兄弟仇討ちの際、頼朝討死の誤報が伝えられ、悲しむ政子を「範頼あるかぎりご安心を」と慰めため、幕府横領の疑いを招いたとされています。
範頼は百方陳弁に努めたが、修善寺に幽閉され、さらに梶原景時に攻められ、日枝神社下の信功院で自害したと伝えられています。

源範頼の墓
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